散りぬべき とき知りてこそ・・・

  17, 2013 09:00
台風一過のロンポポ地方、本日はピカピカの晴れ

皆様お住まいの地方は、台風18号の被害はありませんでしたか?

テレビのニュースを見て悲惨な状況に驚いております。


被害に遭われた方々には心からお見舞い申し上げます。








「散りぬべき とき知りてこそ 世の中の花も花なれ 人も人なれ」


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細川ガラシャ夫人の有名な辞世の句です。



時期は関ヶ原の合戦前夜。
 

夫は東軍の徳川家康側に着いて関東に、 自分は大阪にいるので、

西軍の石田光成の勢力圏に取り残されている。



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明日にも西軍の人質として囚われるのが解かっている。
 


自分が人質になれば、夫は信念を曲げて西軍に味方しなければならなくなる。

でなければ自分は西軍に殺されるから。




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夫にとって自分が生きていることが障害になっている。

自害しなければならないが、自分はクリスチャンで自殺は禁じられているので

家臣に自分を殺せと命令するしか道はない。




自分は夫の足枷とならないように、死ぬ時期をわきまえている。


主の妻を殺すのを家臣は気がとがめるだろうから、ふすまの裏にすわり槍で貫かせよう。


こうして、たまは自死しました。







散るべき時期を悟っているからこそ、花は花であり人は人なのだ。




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お時間がありましたら、追記に歴史小説『細川ガラシャ夫人』の
あらすじを載せておりますのでご覧下さい。
三浦 綾子作・『細川 ガラシャ夫人』


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戦国武将・明智光秀は、女たちが騒ぐような美形で、鉄砲の名手で、句を読み、
茶をたしなむ教養人。
なのに、プレイボーイではなく生涯妻は一人だけ。非常に頭も切れて仕事もできるとなれば・・・

唯一つ彼にとって、ついていなかったのは上司(織田信長)に恵まれなかったこと。
「三日天下」という意地悪なニックネームまで戴いてしまったこの悲劇のヒーロー

実は、細川忠興のもとに嫁いだ細川ガラシャ(たま子)は明智光秀の娘。
美男美女の夫婦から生まれたこの娘の玉子は、光秀の娘らしく賢くもあり、
自己主張もし、とても魅力的な女性だったようです。
38歳という若さで死ぬわけですが、その死ぬ少し前にキリスト教の洗礼を受け、
ガラシャというクリスチャンネームをもらいます。

現代に生きる私達と同じように悩み、苦しみ、そして救いを求めて信仰に走った一人の女性に同じ女として共感を覚えます。

それでは、『細川ガラシヤ夫人(上・下)』 あらすじのご紹介。

上巻では、明智光秀を中心に物語が進行します。
たま子の母、熈子と光秀の結婚のエピソードや
家来を思いやる心の広さや人の気持ちを察する繊細さを持ち合わせた光秀が
どんなに武人としても優れていたかを綴りながら、その光秀の娘として、
はっきりとものが言える女性として成長していくたま子を生き生きと描いています。

小さい頃から可愛いがゆえに、周りからちやほやされて育ったため
かなりな自惚れやさんでもあるたま子に光秀が諭す場面がありますが
その頃から、たま子は人間的にも魅力的に成長していきます。

やがて14歳になったたま子は不本意ながら、信長の命令を受けた父光秀に従って
やんちゃで気性の荒い細川忠興のもとに嫁いで行きます。
忠興は、信長の息子と言われるほど勇敢で気性が荒かったようです。

嫁いだたま子は、気高く賢く美しかったため忠興は惚れ込んでしまいますが
一方で自己主張の強いたま子に手を焼いてもいました。
たま子も忠興にとって自分はいったいどんな存在なのかと自問自答を繰り返し
夫婦でありながらたま子はどうしても忠興に完全に心を許すことができない状態が続きます。

ある日、とてもすばらしい手作りのプレゼントを忠興から受け取ります。
それがきっかけでたま子の忠興に対する気持ちが一変します。

忠興がどんなにたま子のことを思っているかを初めて確認する事ができたのです。
それによって自分が今まで忠興に対して抱いてきた不信感を一挙に拭い去り
忠興に対して完全に心を許すことが出来るようになります。

そして下巻に繋がっていきますが、下巻の冒頭で本能寺の変が起こります。
もちろん信長を倒したのは、自分の父の光秀でした。

当然、夫も義父も光秀のもとに駆けつけるものだと思いますが
すでにそのころ秀吉が力を持ち始めていたため、
義父は頭を丸め、夫も髷を切り、信長への忠誠を示すことで細川家を守ろうとします。
とりあえず、中立の立場になって成り行きを見守る訳です。

光秀は、信長を討ったあと孤立無援となり、短い天下は終わってしまい、
そして、たま子の母も姉も家来の者たちも城に火を放ち家と一緒に死んでしまいます。

たま子は父の光秀や家族を助けることなく見殺しにした忠興を許せません。
冷たい夫、義父、孤立無援で死んでいった光秀の哀れさを思い、
気が狂いそうな程の孤独感に苛まれます。

ところが、光秀の娘であるたま子を殺せ、そうしなければ細川家も危ないと
家来に迫られている夫忠興がたま子の身は何があっても自分が守ると言い張り、
言い争いになっているところに出くわします。

一部始終を立ち聞きしていたたま子は、
忠興は何よりもたま子のことが一番大事なのだと考えている事を知るのでした。

あまりに強い忠興の気持ちに家来たちも折れて
たま子を人里はなれた山村に隠すことにします。

何の情報も入らない、忠興からの便りもない、子供たちとも別れ、
寂しい山奥の村で暮らすたま子は、身篭っていた子供まで流産で亡くします。
このまま、いつ帰れるともわからない山村で言いようのない孤独感に
押しつぶされそうになっていきます。

そんな時たま子はキリスト教に出会います。
付き人の佳代(マリア)がすでに洗礼を受けていますが、
その佳代の思いやりのある言葉と信仰にたま子が興味を持つようになります。

隠れ家生活も2年が過ぎた頃、秀吉からお許しが出てたま子は都に帰れる日がやってきます。

しかし、そこには小さい頃に別れた為にすでに自分には
なつかなくなっている子供達やたま子のいない間に忠興が娶った側室が 待っていたのです。

自分一人を愛していてくれていると思っていた忠興に別の女がいて
しかも身ごもっている事実に愕然とします。

せっかく待ちに待った機会が訪れたというのに
山奥で生活していた時よりももっと大きな孤独感がたま子を苦しめます。

そして、そんなたま子を慰めてくれたのが信仰でした。
忠興の長期出兵中にこっそり屋敷を抜け出して宣教師のもとに向かいます。
信仰の疑問を宣教師にぶつける玉子に宣教師も彼女の信仰の深さ、知識の深さに驚かされます。

たま子は納得した上で、すぐに洗礼をしてほしいと宣教師に頼むのですが、
身元を明かさないのでは洗礼はできないと断られます。
涙ながらに訴えるたま子でしたが、やがて城を抜け出しているのがわかり、
家来に連れ戻されてしまうのでした。

しかし、信仰心はますます強くなり、自らポルトガル語やラテン語を勉強し
侍女や家来にキリスト教を広めて行きました。
ついには、たま子以外の供の者はみんな洗礼を受けるようになりました。

たま子自身もなんとか洗礼を受けたいと願い続けていましたが
ついに秀吉がキリスト教禁止令を出したことを知り、早急に洗礼を受ける決意をします。

そして、宣教師から手ほどきを受けてきた佳代が城内でたま子に洗礼の儀式を行います。
このときから、たま子はガラシャ(グレーシア:神の恵みの意)いう洗礼名で
呼ばれるようになります。

その後、戦場から帰還した忠興は不在中に玉子がキリスト教の洗礼を受けたことを知り
激怒します。信仰を捨てなければ、侍女の鼻や耳をそぐと脅し本当にやってのけました。
しかし、たま子は信仰を捨てません。
やがて、ポルトガルとの商売には宣教師が必要とわかった秀吉は
簡単に禁止令を解いてしまいます。

暫らくは、落ち着いていたように見えた世の中も秀吉が死ぬことによって
また天下の取り合いが始まります。
徳川家康に対抗している石田三成は、細川忠興を自分の側につかせることで
優位に立てると考え、妻のたま子を武力を行使しても人質に取る作戦に出ます。

しかし、何があっても人質になっては、夫忠興や徳川家に人質になっている
息子忠利の為にならないとわかっているたま子は信仰の助けもあり喜んで死を選びます。

そのことが世間にあっという間に広がって石田勢は追い詰められ
奮い立った徳川勢の勝利という形で幕を閉じることになるのです。

忠興は、たま子の死のお蔭で徳川家康に信頼され
徳川家に3代にわたって腹心の家来として仕えたそうです。

と、いう訳で長い話はあらすじにしても長くなってしまいます。

二人で過ごす最後の夜に忠興に抱かれながら時世の句
「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」 と読む玉子に涙し、

死ぬ場面で涙し、死んでからの締めくくりの部分を読んで涙・・・

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秋の夜長に、私お勧めの一冊。  

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